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【特別委員 島康子氏インタビュー】”濃い”地域のおもしろさを追究し、子どもたちに誇りと自信を育む

青森県教育改革有識者会議の特別委員 島康子氏(Yプロジェクト代表取締役、元青森県教育委員)は、青森県という郷土とその場所に育つ子どもたちへどのような思いを抱いているのでしょうか。島さんのあふれる情熱を聞きました。

プロフィール
島康子 
Yプロジェクト株式会社 代表取締役
「津軽海峡マグロ女子会」青森側とりまとめ役
青森県大間町出身。大学卒業後、リクルートに就職。東京や仙台での生活を経て1998年春、17年ごしにUターン。大間町がドラマの舞台になったことをきっかけに、2000年にまちおこしゲリラ集団「あおぞら組」を結成。2013年には、「あおぞら組」の収益部門を事業化し、Yプロジェクト株式会社を設立。北海道新幹線開業を契機に、青森県と北海道道南地域に暮らす志のある女性たちで2014年3月に「津軽海峡マグロ女子会」を結成。イベントや着地型ツアー商品の企画開発等により、郷土・大間町の地域振興はもちろん、津軽海峡交流圏全体の観光振興に取り組む。


17年ごしのUターンで気づいた故郷の”濃さ”

ーー青森県大間町出身で、青森県教育改革有識者会議の特別委員として参画している島さんはどのようなキャリアを歩んできたのですか?

中学校まで大間町で過ごし、高校で青森市へ行き、大学進学で東京へ出ました。新卒でリクルートに就職して5年間東京で働き、その後仙台支社に配属となり4年間勤めました。9年間、馬車馬のようにとにかく働き続けた結果、エネルギー切れしてしまって。1年間充電し、その後、夫を連れて大間町へUターンしました。

大間町で過ごした小中学校時代は、当時の私にとっては暗黒時代でした。「こんな田舎に生まれてしまったからやりたいことができない」と思っていたんです。だから、10代の私からすれば、Uターンの道を選ぶことは想像もできなかったですね。

ーーUターンをしてどんな活動を行ってきたのでしょう?

Uターンした1998年はインターネットの黎明期。急速にホームページによる情報発信が広がっていった時代でした。家業は材木店を営んでいたので、その会社の事務や雑用を手伝っていたのですがすぐに終わってしまいます。エネルギーがあり余っていた私は「ひみつの本州最北端」というホームページを作成し、毎日コツコツ発信していきました。大間町が嫌で東京に出たはずなのに、故郷の人も言葉もおもしろくてたまらなくなっていたんです。一度県外に出たことで自分のモノサシが大きく変わったのでしょう。ホームページでは、大間町の住民を紹介したり方言講座をしたりと、「好き」「おもしろい!」を詰め込んで作っていきました。

そうしたら、ある日、リクルート時代の私と同じようにヘトヘトになるまで働いているという首都圏の女性からメールが届いたんです。そのメッセージには、「帰ったら真っ先にこのホームページを見るようになっていました」と書いてありました。「ひみつの本州最北端」のトップページには癒し力満載の漁師のおじいちゃんの写真を載せていました。「あのおじいさんの顔を見ると、会社で嫌なことがあっても忘れられる」と書いてありました。「田舎の漁師にこんな力があるのか!」と私は衝撃を受けました。

それまでの私は「都会と田舎」の対比で地域をとらえていました。しかし、本当は「都会と田舎」の二項対立ではなく、あるのは「濃いか薄いか」だったのだと気づいたんです。自分の故郷は”濃い中の濃い”! 気がつけば、その濃さの虜になっていました。

「ひみつの本州最北端」トップページ

横のつながりで「まちおこしゲリラ」の誕生

ーーどんなふうに見え方が変わったのでしょう?

ふるさとの濃さに気づいたら、何でもできる前向きエネルギーがムクムクと湧いてきました。そこで自分が「おもしろい!」と思ったことを突発的に行っていく、「まちおこしゲリラ あおぞら組」を結成。私と同じタイミングでUターンしてきた幼馴染たち5、6人で集まってまちおこし活動を行いました。ちなみに、縦割りの上意下達の組織ではなく、自分の意志で機動的に動くことをモットーに「ゲリラ」と名乗ったのです。

そして、2000年には大間町を舞台にしたNHKの朝ドラ「私の青空」がスタート。この機を逃すまいと、ドラマ撮影の裏情報をインターネットで紹介しました。

また、ドラマでは主人公がフェリーに乗って大間を出る時に大漁旗を振って見送るシーンがあって。私も子どもの頃にフェリーが港に出入りするタイミングでよく乗客に手を振っていたことを思い出しました。お客さんが笑顔で手を振り返してくれるのがすごく嬉しかったんです。そこで、あおぞら組では、「旗振りウェルカム活動」を実施していくことにしました。漁師のように頭に手ぬぐいを巻いた5、6人の集団がゲリラ的に現れて、フェリーに向かって大漁旗を振る。これを見たひとたちは必ず笑顔になって手を振り返してくれます。

”怪しい集団”として遠巻きに見ていた地域の人たちも次第に声をかけてくれるようになり、役場の人たちが誰かを迎えるときにも大漁旗を振るなどどんどん活動は広がっていきました。さらに、「仲間に入れてください」という大間高校生が2人も現れたんです。

はじめての「旗振りウェルカム活動」

本州最北端の高校生たちに広がったまちおこし活動

ーー高校生たちは、島さんたちの活動を見て心惹かれたんですね。

1人は小学生のときに一緒に旗を振った経験がある子で、その子が高校生になって「また一緒にやりたい」と言ってくれました。もう1人は突然変異で(笑)、「おもしろそう!」と飛び込んでくれました。とはいえ、彼女たちが卒業したら生徒たちと一緒に旗を振ることももうないんだろうな……と思っていたら、なんと高校で顧問の先生がつき「非公式クラブ」として活動が継続することになったんです。下北の方言で最上級のかわいい子の意味を持つ「めんちょこ活動部」として取り組むことになりました。加えて、校長先生が全校で旗振り活動を推進しようと音頭を取ってくださり、大間高校の生徒全員で旗振りをした時期もありました。

私自身が旗振りによって乗客や地域とつながれることがすごく嬉しかったのと、故郷の海や灯台という原風景を大切なものと感じていたので、それを子どもたちにも味わってもらえる機会にしてもらえると感じていました。10数年ほどあおぞら組の組長をし、その後次の世代に引き継ぎました。

広がっていった「旗振りウェルカム活動」

地域と地域をつなぐ逞しい「マグロ」となる

ーーその後、島さんはどのような活動をなさってきたのですか?

2014年には「津軽海峡マグロ女子会」を立ち上げました。これは、津軽海峡を挟んだ青森県と北海道道南地域をつないでまちおこしをする活動です。女たちが人をつないで道を作るというコンセプト。大間町は青森市に出るのに車で3時間かかり、大きな病院があるむつ市に行くのも鉄道がないのでバスで1時間半ほどかかります。それに対してフェリーだと寝転がっていれば、1時間半で函館に着く。つまり、大間町の人にとっては函館は生活圏なんですよ。

ただ、私たちは函館に行くけれど、函館から大間にくる人たちはほとんどいない。片思い状態が続いており、両思いになってフェリーの利用客を増やさなければ廃止になってしまうという危機感がありました。

そこで北海道新幹線で青森と道南つながったことを契機に、周遊観光ツアーを企画。函館にも行くけれど青森にも来られるような、マグロがグルグルと回遊するように小さい町や村をつなぐ活動を立ち上げました。余談ですが、この活動は他のエリアにも影響を与え、本州(下関)と九州を隔てる関門海峡での「フク女子会」(地域ではフグのことを福にかけて「フク」と呼ぶことから命名)もスタートしています。

青函デスティネーションキャンペーン

ーー津軽海峡マグロ女子会はどんな活動をしているのですか?

集中的にイベントや体験プログラム、ツアーを作り、津軽海峡交流圏の交流促進や魅力発信を行ってきました。2016年には津軽海峡のすみずみまで観光客が足を運ぶ仕掛けを作ろうと、「マグ女のセイカン博覧会」を開催。海をつなぐ寄り道旅をプロデュースしています。

2025年12月には東北新幹線全線開業15周年、2026年3月には、北海道新幹線開業10周年をむかえます。それを機に、JR東日本とJR北海道が、2025年12月から2026年3月にかけて、青森県と北海道道南エリアにおける大型観光キャンペーンを実施することを発表しました。ここでは、我々の積み重ねを披露するタイミングにもしたいと考えています。

マグ女10歳誕生日会

”青森県ならでは”の海洋教育を広げたい

ーー現在、教育にはどう関わっているのでしょう?

下北エリアの子どもたちが海に親しみ、海を守っていきたいと思えるきっかけをつくる取り組みを実施しています。下北半島は3つの海に囲まれていて、海の幸がとても豊か。しかし、残念ながら海に興味を持ったり遊んだりしている子どもはとても少ないんです。せっかくの豊かさを活かせていない。

そこで、日本財団から助成を得て、下北の魚を使った揚げ物「アゲ魚っ子ボール」のメニュー開発を行いました。魚へ苦手意識を持っている子も揚げ物であれば、美味しそうに食べるんですよね。また、夏休みに海を学ぶ体験プログラムを設計しています。下北半島には5市町村ありますが、そのすべてにこの活動を広げたいと考えて、各首長に直談判。連携を約束していただき、助成が終了した今も、ほとんどの自治体が「アゲ魚っ子ボール」を給食のメニューとして採用。「海の食育」の授業プログラムが導入されています。

「海の食育」佐井中学校にて

下北ジオパークもあるので海洋教育の先進地を目指し、自治体や教育委員会と連携しながらその輪を広げています。また、青森県全体にまで視野を広げると4種類の海があるんです。この活動を下北エリアだけにとどめず、県内全域に広げていきたいと考えています。

私は長らく自分の故郷の素晴らしさに気づけない”暗黒時代”を過ごしました。地域の外に出て17年も経ってから、やっと誇るべき故郷だと気づかされたんです。しかも、そのことに気づくと自分の中から大きな大きなエネルギーが湧いてきた。だから、幼少期から青森県は素晴らしい土地なんだということを子どもの心に伝え続けていきたいと、現在は試行錯誤しています。

「海の食育」風間浦小学校にて

地域に誇りを持ち、自分に自信が持てる教育を

ーー青森県教育改革有識者会議に参画する際に、どのような思いを抱きましたか。

最初にお声をかけていただいたとき、嬉しかったんです。青森県の子どもへの思いを強く持っていたので深く関わっていきたいし、地域の教育が変わっていくチャンスだとも感じました。これまで下北地域は教育のリソースが少ないエリアだといわれてきました。加えて、大人たちが「この地域はダメだ」と呟き、子どもたちに「こんな何もない場所」と伝え続けていたんです。しかし、私は「そんなことはない」と強く思っています。Uターンして私が気づいた青森県の”濃い”魅力をもっと子どもに伝えていきたいと考えています。

青森県では「青森新時代」と謳っていますよね。まさに今、新しい時代が到来していると感じます。このタイミングで、子どもたちの地域への誇りを育て、そこで育った自分にも自信を持ってほしいと願っています。そうした土台を築いた上で、自分の好きなことで世界へ挑戦していってほしいと思っています。

今回の提言にもありますが、従来の学力一辺倒の物差しでなく、子どもたちが持つ多様な可能性にスポットライトをあてて、「君は本当にすごいんだよ!」「好きなこの道を頑張ればいい。あなたならばやれるよ!」と伝え続けていきたいです。

ーーなぜ、島さんは子どもたちへ多様な力を育むことに価値があると感じているのでしょう?

私自身、テストのために必死で勉強をして、大学を出て、リクルートに入りました。しかし、会社に入ってみたらびっくりするくらい何もできなかったんです。自分の無力さに、毎日へこたれるような日々を送りました。その経験から、社会に出てからは机の上だけにはとどまらない力が絶対に必要になると痛感しました。だから、子ども時代にいかに多様でリアルな体験ができるかが大事だと思うのです。

また、これからの社会は従来通りの答えが通用しない時代になります。つまり、大人が答えを教えられない。子どもたちには答えを教えられるのを待つのではなく、問いを立てて、自分で答えを生み出せるような力が不可欠になります。県の方針の中にも、「新しい時代を主体的に切り拓く人づくり」が求められることを示していますよね。私はその方向性にすごく共感しています。

私は、先生や教育委員会の方にお話を聞くことも少なくありません。先生方は、今、すごく忙しくて余裕がない状態が続いていますよね。だから、もっと先生方に時間があれば、効率的に答えを教える教育ではなく、子どもたちに考える時間を渡し、主体的に切り拓く力を養う教育へとシフトしていけるのではないかと思うのです。学校教育の仕組みを再構築していくために、私ができる関わりを全力で果たしていきたいと考えています。

【これまでの青森県教育改革有識者会議の議論はこちらから】

【参考 「海の食育」活動】