【宮下宗一郎知事インタビュー】2040年青森県の教育に向けて求められることとは
2040年のあるべき青森県の教育像とは
――2040年のあるべき青森県の教育像について、どのようなビジョンをお持ちでしょうか。
2040年の教育は、端的にいえば、2100年ぐらいを生きるこどもたちを支えるものであるべきです。つまり、「2100年を生きるこどもたちのための教育をその時に行えているか」ということが重要なポイントであるといえます。
13年前(2010年)に、その1年後に東日本大震災が起こるなんて誰も思わなかったですよね。また、4年前に新型コロナウイルス感染症が蔓延するとは誰も予測できなかったでしょう。私たちがこどもの頃は、世界中どこにいても持ち運びできる電話でやりとりできるのはドラえもんの世界だけでした。当然ながら、こどもたちが生きる何十年後はさらに予測できない社会になるはずです。つまり、私たちは何が起こるかわからないことを前提にしていなければいけないのです。だからこそ、先の見えない社会を生き抜くためにやらなければいけないことは何か。個別具体的な取組は様々ありますが、まずはそこが本質だと考えています。
2040年を待たずして学校で実行していかなければならないことは、一方的にこどもたちに教育を提供する場から、こどもたちが学びを獲得する場にしていくことでしょう。そのためには、先生が教室の前に立って教授するという方法から、こどもの横や後ろで見守りながら学びをサポートするというスタイルに転換していくことが求められます。そして、学力については、試験で測れるような力とともに、社会で生き抜いていく力との二本立てで捉えていく必要があります。
――何が起こるかわからない社会において、こどもたちはどのような力をつけていくことが求められるのでしょうか。
答えを見つけていく力が必要になると考えています。これからは一層答えがない社会になっていくので、答えを見つけていく、あるいは答えを創り出していく力が欠かせません。そして、その答えが正しいものかを検証し続けていくことも求められます。
しかも、それらを対話の中で行っていくことが重要です。それぞれが学びながら、対話によって全体での学びも作り上げていく。これは人間社会の普遍的な営みです。この普遍的な価値を学校の中でも定着させていくことが重要だと考えています。
学校に求められるのは対話の文化
――学校の中で対話の文化を定着させるにはどうしたらよいのでしょう。
「先生と生徒(児童)」「管理職と一般教諭」というように年功序列的な主従の関係性から脱却することがポイントではないでしょうか。生徒や児童をこども扱いしていては、対話は成立しません。繰り返しますが、今の時代は答えのない社会です。一昔前のように、年配者が答えを持っていてそれを享受していれば成立していた社会ではないのです。これからは、一人では答えを見つけ出せない問いについて、誰かと話をして答えを見つけていくことがより求められるようになっていきます。その考えをベースにすれば、自然に対話が始まるはずです。対等なテーブル、まさにラウンドテーブルを構築していくことが必要でしょう。
例えば、おじいさんと5歳ぐらいの孫がいたら、以前はおじいさんから孫に教える方向しかありませんでした。しかし、現在は孫がスマホの使い方をおじいさんに教えているようなことはよくあります。つまり、サプライサイドとデマンドサイドが逆転している世の中になってきているのです。そういう世の中になってきているからこそ、みんなで対等な立場で物事を考えていくことが求められます。変化する社会の中で、学校が取り残されないようにしていく必要があると考えています。
――対話の文化が定着していくことで、学校にどのような変化が起きていくのでしょうか。
これまで学校が重視してきたような教科の学習は、今後の社会においても基礎となります。それに加えて、世の中で生きていくためには、対話をしながら様々な答えを見つけていく体験が重要です。この学びの過程の中では、勉強の仕方も、当然ながら校則の扱いなども変わっていきますよね。なぜ中学1年生で英検3級を取得できた子が、「”I am” を使って自分のことを話し合う」という授業に付き合う必要があるのか。逆に中学3年生でも分数や四則演算に不安のある子が、因数分解に取り組むことに社会的意義があるのか。校則でいえば、なぜ黒い髪でなければいけないのか、なぜスカートは膝下までなければいけないのか。こうしたトピックはみんなで考えて、毎年変えていけばいいのではないでしょうか。教育が未来を軸に据えたものになっているか、その答えを見つけられるような変化を促していきたいです。
みんなで考えて作ったルールは100%の正解ではないかもしれませんが、納得解ではあるはずです。合意形成の経験を積んで、それがおかしいと思ったら答えを疑い、またルールを作り直せばいいのです。こうしたプロセスがこれからの日本を作り、国際社会をも作っていくのでしょう。これを実現するためには、もちろん勉強は必要ですし、自分の考えを表現できるプレゼンテーション能力なども欠かせません。
対話の中で答えを見つけていくプロセスを体験していけば、本当の意味で強いこどもたちが育っていきます。これは、大量生産型の高度経済成長期仕様の人財育成ではなく、変化の激しい、先の見えない日本や世界のリーダーを育む教育、それと同時に生きる力を育む教育です。リーダーとしての素養は、一部の人財だけに求められるものではありません。3人集まれば社会は形成されるので、あらゆる人にリーダーとしての力は欠かせないのです。
――現在の学校はどう変わっていけばよいのでしょう。
「どう変わっていったらいいか」というよりも、そもそも変化を受け入れてほしいと考えています。有識者会議でもお話が出ていましたが、現在の学校内には”形状記憶合金”ともいえるような状態ができてしまっています。いわゆる形状記憶のシャツのように洗っても洗っても、ピッと元に戻るような状態です。
コロナ禍では現場の先生方が様々な創意工夫をして教育活動の効果効率化を図っていったにも関わらず、今ではどんどん元に戻してしまっています。本来ならば、そのまま戻すのではなく、「本当に必要なことだったのか」「もう少し改善の余地があるのではないか」と検討しながら取組を練っていくべきです。
そもそも、学校がどう変わっていけばいいか、どう変わることがこどもたちのためになるかは、先生たちは一番わかっているはずです。しかし、変化ができない構造になってしまっているために、先に進むことができずにいるのだと思うのです。
打開策の一つのポイントは、職員室をはじめ、教職員の心理的安全性を確保する仕組みを作ることです。校長をはじめとする管理職の権威で学校がまとまっている状況を打開する必要があります。私は、こどもたちの年齢に近い若い先生方の意見や思いこそ大切にしてほしいと思っています。そして、その思いが発揮されやすい環境づくりが求められます。職員会議で一方的に校長や管理職が話をする、それに対する意見を聞いて終わり、では絶対に変化は生まれないでしょう。
――学校が変化する組織になっていくためには、どのようなことが必要でしょう。
2つの要素があると考えています。1つ目は仕組みや制度の変革です。そもそも学校という組織にはどのような権限があるのかということから、再整理していかないといけません。そして、こうした変革は一過性のものではなく、一貫性を持って続けていくことも欠かせません。
2つ目はマインドセットです。人はメリットを感じなければ変わりません。そのメリットを感じてもらうためには、「これが変われば、こうなるんだ」という世界観を作らなければいけないでしょう。計画を作ったり改革の方向性を示したりすることはできますが、それを現場レベルで浸透させるのは次元の異なる難しいこと。その方法を検討していかなければいけません。
とはいえ、この2つの要素は連動してもいます。仕組みを変えることが、考え方を浸透させることにつながるという側面もあるのです。制度改善をすることで、物事が一気に動き出すきっかけを作れるはず。だからこそ、先生方が色々なことに挑戦できるような柔軟な環境を作っていきたいと考えています。
――「青森県教育改革有識者会議」に対して、どのような期待を寄せていますか。
有識者というよりは、むしろ委員の皆さんは現場を変えてきた実践者ですよね。まずは、その実践者の方々が取り組んできたことを真似していくことからスタートすることになると思います。しかし、ただ真似をしても、地域の特徴や目前のこどもたちの状況によって結果は変わってくるはずです。ですから、それに合わせてチューニングしていくことが理想に近付いていく道だと考えています。
委員の皆さんには、実践者としての目線から、「こうしたらよいのではないか」という提案をいただけることを大いに期待しています。講演から議論がスタートしましたから、これからは特に教育委員会が中心になって、ともにアクションにつなげていきたいと思っています。
委員の方の書籍を読み、さらに講演も聞いて、具体的なアイディアはたくさん出てきています。実践者たちの言葉を重く受け止めて、仕組みや制度をどんどん変えていき、現在とは異なる環境を作っていく。私は知事として県総合教育会議の中でサポートしていきたいですし、予算面でもバックアップしていこうと考えています。
▼青森県教育改革有識者会議でのこれまでの議論は下記からご覧ください▼
先生・保護者・こどもたちへのメッセージ
――改めて、先生方へのメッセージをお願いします。
これは”改革のための改革”ではありません。私たちは学校の現場の先生たちを具体的に応援するために立ち上がっています。それ以上でもそれ以下でもないのです。もちろん「こどもたちの教育のために」という大目標はありますが、それに匹敵するくらい現場の先生方を応援したいという思いが強いのです。こどもたちのためであり、現場の先生たちのためである改革だとお伝えしていきたいです。
――保護者や地域の方へのメッセージをお願いします。
本改革は、ご自分のお子さんが多くの時間を過ごす学校のあり方を見直すものです。よりよい方向に向かっていくためには、保護者の理解と応援が欠かせません。一緒に取り組んでいきましょう。
将来、こどもたちが地域を支えることになりますから、地域の方々にも関心を持って関与してもらえるようなサイクルを作っていきたいと考えています。そして、その方針の下、どう関与してもらうとよいかを検討していけるとよいでしょう。教育改革は「こどもたちのため」ではありますが、「自分たちのため」でもあるのだという意識を持っていただきたいです。
――地域と接続した学びについて、どのようなお考えをお持ちでしょうか。
教育の文脈では「学校と地域との接続」とよく表現しますが、私は「学校と世界との接続」が大事だと思っています。そして、青森県はその世界の一部であり、ここにしかない価値がある場所です。だからこそ、この場所にしかないものを活かした教育を行っていくべきでしょう。例えば、県内で田植えから収穫までを経験したことのあるこどもはかなり少ない。りんごの栽培も同様です。雪が多い地域なのにスキー教室は減っています。この環境の価値を教育にどう取り込んでいくかは大切なポイントだと考えています。
――こどもたちに伝えたいことはありますか。
私は、毎朝「学校に行きたい」と思えるような学校作りを目指したいと思っています。「人は新しいことを求める存在である」というのは、古代ローマの詩人の言葉です。新しいことを求めてきたからこそ、人類は社会的な進歩を遂げてきました。だから、「勉強が苦痛」というのは本当はおかしなことなのです。まして、「学校での学び」がつまらないというのは何かボタンの掛け違いが起きているのです。皆さんが「今日、学校でこんなことを知った。新たなことを学んだから明日からこんなふうに生活したい」と家庭でいきいきと話す日のために、知事として頑張っていきます。
Written by 教育ライター佐藤智