
【常任委員 三戸延聖氏インタビュー】「こどもまんなか」を抽象論で終わらせないために"私たち"にできること
青森県教育改革有識者会議の常任委員 三戸延聖氏(弘前大学教育学部教職実践専攻・教職大学院教授)は、県内で生まれ育ち、大学卒業後高校教諭となりました。現在は教職大学院に勤務し、教員を志す学生や現職教員の支援者となっています。青森県内の学校に携わり続けた三戸氏の教育に対する課題や展望とは。また、有識者会議の委員となり、どのような思いを抱いたのでしょうか。お話を聞きました。
プロフィール
三戸延聖氏
弘前大学教育学部教職実践専攻・教職大学院教授
青森県出身。大学卒業後、青森県立高校の教諭として勤務。三本木高校、青森高校を経て、東北三県交流事業により秋田県立横手高校に勤務。その後、教育庁での勤務を経て、弘前実業高校や田名部高校で管理職を務める。2019年に青森県教育委員会事務局教育次長の後、総合学校教育センター所長などを経て現職。
「わくわく」を胸に再び回ってきた挑戦の機会を活かす
ー青森県教育改革有識者会議へ参画のオファーが来た際、どんな思いを抱きましたか。
大谷真樹議長からご連絡いただいた時は「私で良いでしょうか? 一緒にお仕事をできるのであれば、わくわくします」とこたえたのを覚えています。すでに「有識者会議が開かれるらしい」という話は耳にしており、全力で応援しようと思っていましたし、もしお声を掛けていただくことがあるならば青森県の教育のために参画させていただこうと決めていました。
私は大学卒業後、二つの現場を経験してきました。一つは高校という学校現場で、そしてもう一つは県教育委員会事務局という教育行政の現場です。改革を進めたいと考えアクションを起こすものの、いつも道半ばで断念せざるを得ない……。どちらの現場においてもそんな苦い経験をしてきました。だから、「やり残したことがある」という忸怩たる思いがあったんです。
現職教員時代は、北東北の三県知事サミットで実現した、道州制を見据えた県職員の交流事業の一環として教員として秋田県立横手高校へ赴任しました。「狭い世界でものを見てはいけない」という思いを抱えて任地に赴いた記憶があります。その後、指導主事などを経験する中で、文部科学省とのやり取りや全国の都道府県との交流が増えていきました。
私にとって、全国の第一線で教育の変容を後押ししてきた実践者が集う青森県教育改革有識者会議への参画は好機でした。もう一度挑戦の機会が与えられたと感じたのです。
ー現場の先生方からはどのような声が届きましたか。
「現場を見据え、教職員から信頼される提言を」と期待する声、「青森県の実情を踏まえた議論を」という声も聞いていました。だからこそ、私は自分の思いだけでなく、県内の先生方とのパイプ役になりながら参画しなければいけないという思いを強く持ったのです。
例えば、約20年間続いてきた県の学力調査(学習状況調査)についての議論の際には、さまざまな先生にヒアリングをしました。私が聞く限り、「開始当初の理念はあくまでも授業改善のためでしたが、現在は翌年の全国学テ(全国学力・学習状況調査)の対策的傾向が強くなっている」「子どもの学習に差が出やすい中学年に焦点を当てた学習内容を県内で調査することには意味がある」「全国学力・学習状況調査があるのでそちらで十分です」という様々な声がありました。
それを踏まえて、有識者会議では意見を述べました。部活動の問題や不登校の問題など様々な意見交換の場がありましたが、推測ではなく、県内のたくさんの先生から聞いた事実を基にお話しができるよう、自分自身が挑戦し続けた2年弱でもありました。
ー青森県内の学校への影響はもちろん、三戸先生ご自身にとってもインパクトのある会議だったんですね。
その通りです。「県外の状況を知って、それを青森県に合うように取り入れていきたい」と思い続けてきた私にとって、今回の青森県教育改革有識者会議は非常に重要な機会でした。有識者会議でお会いした先生方とは会議の場以外でも情報交換をさせていただき、常任委員の日野田直彦先生には弘前大学教育学部附属4校合同公開研究会にも来ていただき、講演をお願いしました。当日は、教育学部生・教職大学院生、県内外の先生方、大学教員と校種を越えて活発な議論がなされました。
また、私は最近何度か単独でマレーシアに出かけています。現地の大学関係者に友人がおり、クアラルンプールに滞在している時には友人の紹介で観光地以外にも市井の息遣いが伝わってくる場所を案内してもらい、この国の成り立ちや教育制度、国内の政治情勢を深く知る機会としました。
一方で、もう一つの旅の目的はそこに行き着くまでの冒険の感覚を感じ取りにいっているのです。出国や入国に関する手続き、言葉が通じないことによる旅の途中でのトラブル、知らない国で迷子になる恐怖感、旅は失敗の宝庫です。本来もっと若い時代に経験しておくべきだったと感じてもいますが、この年になってあえて実行してみようと思ったのには有識者会議の存在が大きかったです。有識者会議では、他国から刺激を受けて学ぶ重要性や世界から見た日本を知る大切さを伝えてきました。この重要性について、自分が経験した上で語れるようにならなければ、上辺だけの言葉になってしまうと思い、自身への投資として海外へ行こうと決めたのです。
実際に行ってみると、例えば、イスラム教徒が多いマレーシアの小学生がガザ地区の子どもたちに手紙を公開している場面に遭遇しました。同じムスリムであるパレスティナの子どもたちに何を伝え、どんな思いを届けようとしているのかを深く知ることになりました。母国語はマレー語ですが、手紙は英語で書かれています。子どもたちは心から伝えたいことを書いていることを感じ取ることができました。なお、マレーシアでは、日本と同様、英語は小学校からカリキュラムに取り入れられています。

マレーシアでは、国民の平均年齢が31.8歳という、日本の高度成長期のような若者の熱気や勢いを感じることができました。ちなみに日本の平均年齢は49.9歳です。また、インド・中国・マレーシアといったバックグラウンドを持つ人々で構成されるインクルーシブな社会では、障がいを持つ人たちに対する包摂の意識の高さに気づかされることも多かったです。社会全体が多様性に満ちている感じました。
私は国語科の教員なので英語は得意ではありません(笑)。海外のルーツを持つ子は最初はこんな心細い気持ちで日本の教室にいるんだな、ということを身をもって理解する時間でもありました。
日本の良さとして、実は帰りの成田エキスプレスで熟睡し、東京で慌てて降りてスマホを座席に忘れるという失態をしてしまいました。東北新幹線に乗る直前に気づき、そこから心は非常事態に……! 結局、3時間後に新宿で見つかり、日本の治安の良さは世界一だと改めて思い至りました。
多様な選択肢を備えた教育へ
ー青森県の教育にはどのような課題があると感じていますか。
一つは教員不足です。私は教職大学院で学校から来ている現職の先生方に話を聞きますし、有識者会議の委員になってからは青森県内の先生方へのヒアリングもたくさんしてきました。特に義務教育の現場には就いたことがなかったので、「話を聞かせてください」と声をかけてまわりました。そして、数字にも表れていますが、先生方の声としても義務教育現場での教員不足は大きな課題となっていることがわかりました。
本県では、10年ほど前の小学校の教員採用試験倍率は20倍程度ありました。その結果、首都圏で教員として就職した方々がたくさんいます。そうした方々の中から「青森県に戻りたい」と考えている先生へ機会を提供することは、今後一層強化していくことができそうな施策だと感じています。
そして、もう一つの大きな課題は、不登校の子どもたちの増加です。これも全国的な問題ですが、青森県では約2,800人の小中学生が不登校となっています。今必要なことは、子どもたちに合った多様な選択肢です。こうした背景を受けて、青森県でも夜間中学設置についての議論が行われ、実際に北東北初の自主夜間中学「あおもり学び直しスペース あおも・リラ」の開校が決まりました。また、各校でいわゆる「校内フリースクール」の設置が進むなど、少しずつ環境が整備されてきています。
今後、一層増加するであろう海外にバックグラウンドを持つ子どもたちのサポートも検討していく必要があるでしょう。愛知県や群馬県では地域の産業の特色から外国人就労者が多く、その子どもたちが学校に通うことが一般化しています。こうした先進エリアから学べることもきっとあるのではないでしょうか。
学校現場で起き始めた変化の兆し
ー学校現場の変化や先生たちの思いの変容について、お声は届いていますか。

組織論でよくいわれる「2:6:2の法則」とも似ているのですが、市場においても、変化や進化へと飛び込む2割がいて、その次に6割のマジョリティがおり、最後の2割が変化に対して保守的な人々だと言われています。そして、総合的に全体の7%が変化の波に乗っているかどうかで、その事業の成否が決まるといわれているそうです。これは青森県の教員全体を1万人とした場合、約700人に相当します。
私は今、感覚として、青森県の教育改革はこの7%の水準の瀬戸際だと感じています。管理職からも現場の先生からも、「有識者会議を見て、こんな挑戦をしてみた」「会議のあの回の動画を観て、こう思いました」と反応は確かにあります。一方では「忙しくてYouTubeを見る時間がない」「少し現場との感覚から離れているのでは?」という声も。正直、関心のない先生方もいます。もっと認知も活用も広げていく必要はありますが、着実に前進はしていると感じます。私自身、さまざまな講演で「青森県教育改革有識者会議について話を聞かせてください」と声をかけていただくようになりました。
また、他県からの注目度の高さもうかがえます。有識者の各委員の皆さんは全国区の先生方ですので、必然的に全国の教育関係者とのつながりも広くその言動には各県とも注目しています。指導主事時代に培ったネットワークの中で、「それぞれの立場、経験を超えて理解を深めていくのは簡単なことではないですね」「長年教育予算の獲得では苦戦を強いられている。知事や外部審議会の後ろ盾があれば、なんと心強いか」というリアクションが届いています。
「こどもまんなか」をどう具現化していくか
ーこれから変革を進めていく現場の先生方へ、メッセージをお願いします。
「こどもまんなか」を抽象概念で終わらせずに、いかに現場に落とし込んでいくかが重要だと考えています。「どうしたら学校の取組へ具現化できるか」という議論が、これから各校で始まっていくフェーズだと考えています。私の教員時代のことを思い返しても、「生徒を中心に物事を考えること」は口で言うほど簡単なことではありません。ときには、学校と子どもだけで解決できないこともあります。例えば、親子の関係に苦しんでいる子どもにとっては、親自体に問題の本質があったりします。また、受験ストレスのような社会をつくり出すシステムそのものに問題がある場合、その解消には時間もエネルギーも必要となります。子どもに焦点化しすぎると全体の歪みが見えなくなることもあります。だからこそ、具現化するにはどうしたらいいか、あらゆる角度から向き合っていくことが求められると考えています。
私が審査員をした今年度の高校生の弁論大会で、自身の心のうちを伝えてくれた生徒がいました。この子の言葉から、私はさまざまな子どもの悔しさや悲しさ、そして成長を見ることができるように感じたので、ここで少しだけご紹介します。
『言えない気持ち』
今年になって小学校のころのある記憶がよみがえりました。
「そうじゃなくて」、その声に私の発言はさえぎられました。私が小学生のころの国語の授業中の一場面です。
そのとき私はびっくりしたのと恥ずかしいのと、そして何より担任の先生が怖いと思いました。
そのときから私は自分の主張を隠して周りの意見を聞くことばかりで、人と話すことも少なくなったような気がします。
今年5月に熊本県水俣市で開かれた水俣病犠牲者の追悼慰霊式の後の患者団体との懇談の場で、発言の最中でマイクをオフにされたニュースは、水俣病についてあまり知識のない私たち高校生でも、スマートフォンで知るところとなり、「ひどい」と感じました。
小学生の私が発言を遮られたことと、患者団体が3分でマイクをオフにされたことは、事情は異なっていますが、その行為は似ていると思いました。
(略)
小学生の私はなぜ否定されたのでしょう。正解ではないことを発表しようとしたのでしょうか、それとも私の態度が悪かったのでしょうか?
小学生の私は教室の中では小さく弱い存在だったと思います。
私はこれまで、自分の主張を隠しておとなしくしてきましたが、自分の意見も伝えてもいいかもしれないと思い始めています。言えない気持ちをずっと後まで残すよりも伝える方を選んでいこうと思います。かなり難しいことですが。(一部抜粋)
この弁論には2つの大切な要素があると思います。一つは主権者である小学生が高校生に成長し、成年として自らの小学校時代を語っているという事実です。もう一つは正解のあり方です。教員から与えられたことが正解ではなく、自ら導き出した考えが正解なのではないか、と行き着いていることです。
「こどもまんなか」を実現するために、新たな施策を打ち出していくこともとても重要です。しかし、学校の中心はあくまで授業です。そこに「こどもまんなか」をいかに具体的に落とし込んでいくことができるのか。そこを私は現場の先生方と一緒に考えていきたいと思っています。
【これまでの青森県教育改革有識者会議の議論はこちらから】